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オカタジケ(okatajike)プロジェクト

中越地震を風化させない 「震災はまだ終わっていない、我々は復興に向けがんばってます」

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レポート:昨日、柏崎にいました。

スーパーでは水がすぐに売り切れ

P1010004.jpg

トイレが使えること知らせるメッセージ

オカタジケプロジェクト実行委員会メンバーの加藤と申します。昨日はちょうど上越~中越エリアにいたため、被災地を目の当たりにしました。

 地震が起きたとき、私は妙高市という(柏崎市よりも長野側に位置した)ところにいました。ガーッという音とともに建物がユラユラと大きく揺れました。ですが地元の人が「この辺はよく揺れるのよ」と、慣れた感じで話をしていたため、ここまで大きな地震だとは分かりませんでした。

 ところが新潟市内の実家へ電話連絡をするも、携帯電話は全くつながらず。何度も出る「しばらくお待ちください」のメッセージによって、想像以上の事態になっていることが分かりました。父親との携帯メール、ラジオの緊急特番から情報を聞きながら、新潟市内へ帰る道を探しました。

 柏崎市内の様子はというと、大変なものでした。渋滞はもちろん、突然現れる段差。フリーペーパー「オカタジケ」の取材で見た、小千谷、山古志と同じ光景が目の前にありました。
 
 15時過ぎ、トイレに立ち寄ったスーパーは断水。パン、水は売り切れ。くずれ落ちている商品、割れたガラス。地元の人がカップラーメンやお茶、総菜を買い急いでいました。私が駐車場で地図を広げていると余震が…。ザワザワ、グランッグランッ…。また大きな揺れが来ました。目の前の信号機は折れんばかりに揺れ、電線はゴムひものようにビヨンビヨンと揺れていました。

 すれ違う白バイ、県外ナンバーの電気工事車両、砂利を積んだトラック、海岸で旋回するヘリ、自衛隊。交通誘導してくれる警察、警備員の方。危険と背中合わせに住民の方たちを助けようと一生懸命に活動する姿は心打たれるものがありました。それに引き換え自分は。新潟市内に帰ろうとする自分の無力さに悔しい思いを感じました。

 柏崎から新潟へ帰る道は、日本海側の116号線か長岡経由の8号線。海岸沿いは危険という情報だったので、刈羽村の山中を通ってきました。その道中も決して安全ではありませんでした。道路の半分が土砂で塞がっている所や停電で真っ暗なトンネル、崩れてしまっている家屋や道路。やっとの思いで帰ってきました。安全な新潟市内へ帰って来た私でさえあれだけの不安だったのだから、被災地の方たちは…と思うと心苦しくてなりません。


現地の方々の一日も早い安全と安心を心からお祈り申し上げます。


私にできることは何か、あらためてそれを考えている今日です。
私は総理大臣でも学者でもありませんので、国を動かす権限も無ければ、すばらしい発明もできません。私はこのオカタジケプロジェクトとしてできることをただひとつづつ、継続してやっていこうと思います。
 また、このオカタジケプロジェクトが追い続けている3年前の中越地震についても、いまだ復興は終わっていないことを全国の人が思い出してくれればと思います。
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  1. 2007/07/17(火) 18:16:55|
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